« 作業机。 | Diaryへ戻る | 取り急ぎレコーディングの模様。 »

伊福部昭の管弦楽法。

06-02-14_04-34.jpgイントキシケイトの武満徹特集号が出ようとしているとき、さらに一世代前の伊福部昭が亡くなった。映画音楽に残した足跡、その他業績は過去にも見直されてもいるし、また今後も研究されてゆくでしょう。


僕自身にとって伊福部といえば「管弦楽法」(上下)。この大著は他の楽器法/管弦楽法の本とは比べられないほどの詳しさで、(時々はその詳しさ故何が何だかどこが重要なのだか判らなくなってしまうのですが、、、)僕が曲がりなりにも編曲家を名乗ることが出来るのもこの本によるところが多い。


その語り口は軽妙で、辞典的な読み方ももちろん出来るのだけど読み物としても面白い。大ベートーベンの作例を持ち出してきて「音楽的価値は別として、管弦楽法をこの様な作品に学んではならない」(ファゴットの用法で)などどサラリと言い、また別の所では自分の若いときの作品を例に出し、「自分自身も打楽器を重ねることが良い作品を作り出すことにつながると勘違いしていた」などと告白しているページに出くわす。良き老師が酒飲んで思わず本音が出ちゃった、みたいな所に居合わせているような気になる。


今でも仕事机の上には必ずある。高校一年生くらいの時に父に買ってもらった。写真だと綺麗に写っているけど手垢でボロボロだし補修テープで補修した跡もある。外箱はもう無い。初版は1953年。譜例にメシアンも出てこなければリゲティもブレーズも出てこない。そんな時代に書かれた。ラベル、ストラビンスキーの譜例が多い。そうかと思うと当時の最先端であった微分音楽を変に詳しく解説していたり、編入楽器としてオカリナからバラライカからテルミン、オンド・マルトノ、果てはハモンドオルガンまで。こんなに面白い本、そうはない。




(その意味するところに近づきたいと思い、編曲するときの指針の一つであるこの文を転載。)

(パート分けをしすぎると、、、という文意を受けて)

「演奏者が自分の役割に音楽的興味を失うや、全体の表現の音楽性と迫力が薄らぐ物であるから、作曲者はこの点に留意し、出来る限り各役割に魅力を与えるように、音の継続性その他に考案を施さなくてはならない。」 


今でもこの教えを守っているつもりですよ! 伊福部さん!





最後に。

「管弦楽は決して楽器ではなく、生物なのである。」
(第一編 管弦楽法概論 第一章汎論より)







ご冥福をお祈りいたします。



posted by nn :

コメント